夕顔を失ってから二十年近い歳月が流れたが、源氏は夕顔のことを忘れなかった。右近は紫の上の侍女となった。夕顔の遺女王鬘は、実は太宰少弐となった乳母の夫に連れられて、筑紫にいたのであった。五年後少弐は子供たちに遺言して病死したが、玉鬘の美貌を伝え聞いて求婚する人々が現れ、特に肥後国の太夫監という豪族が熱心にいいよってきた。ただひとり、長男の豊後介だけを頼りに、隙をみて、玉鬘は北九州を小舟で脱出、ようやく京にたどりついたが、どこにも頼るところとてない。しかたなく、長谷の観音に参籠したところ、偶然にも、同じく参籠にきた右近一行と再会した。右近はよろこび、六条院に参って源氏に報告する。そこで源氏は六条院の東北の町の西の対に、養女として引き取り、花散里に後見を依頼した。玉鬘の優雅な才質を知った源氏は、青年たちを誘惑してみよう、と考えたりした。
 その年の暮れ、玉鬘の衣裳を心配してやったついでに、六条院や東院に存在する女たちに、それぞれふさわしい衣服を調整して送った。女たちからは、それぞれお礼の返事がきたが、中でも傑作なのは末摘花のであった。

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