六条御息所は、源氏との仲を断念して伊勢に下向することになった。出発も間近に迫った九月はじめ、源氏はさすがに未練をおさえがたく、野宮に御息所を訪れる。あのおぞましい生霊事件以来対面が絶えていた二人は、晩秋のものあわれな風情をたたえる嵯峨野の自然を背景に、歌の贈答によってようやく心を通わすが、御息所の決心は変わらない。群行の日、源氏は、京を後にする御息所への無量の思いに身を委ねるのであった。
 十月、かねて病を得ていた桐壷院は重態に陥り、やがて崩御。藤壷は三条宮に退出した。
 年が改まり、朧月夜は尚侍に、朝顔の姫君は斎院になったが、権勢は右大臣方に移り、源氏の衰勢は著しい。桐壷院の臨終の際、東宮と源氏を重んぜよとの遺言を賜っていた朱雀帝だったが、その柔和な性格ゆえに、弘徽殿太后たちの専横を抑えることができなかったのである。そのような不遇の中で、源氏はなお朧月夜との危険な逢瀬を重ねるのであった。
 藤壷は、弘徽殿太后の圧迫が日に日に強まる中で、源氏を東宮の唯一の後見として頼みに思うがともすれば理性を振り捨てて恋情を訴えかけようとする源氏の激しい思慕に思い悩み、ひそかに出家を決意する。源氏の激情を封じ、しかも彼の協力をとりつけることのできる最後の選択だと考えたのである。一方そのような深慮と苦悩を察知し得ぬ源氏は、藤壷の薄情を恨み、雲林院にこもるようなこともあった。桐壷院に一周忌の法要の後、自ら催した御八講の結願の日、藤壷は落飾した。
 諒闇の年があけても、藤壷や源氏方の人々にはあるべき昇進もなく、左大臣も辞任したその夏、朧月夜は病気養生のために里邸に退出する。政界に身の置き所もないままに、頭中将らと風流韻事に心をやる日々を送っていた源氏は、朧月夜とひそかに逢瀬を重ねたが、ある雷雨の朝、帰りそびれていたところを右大臣に発見されてしまう。激怒した弘徽殿太后は、源氏を失脚せしむべく謀略をめぐらすのであった。

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